2011年8月15日月曜日

ピューリッツァー賞


過去30年間のピューリッツァー賞受賞作品が年代別に掲載されていました。

その年々を思い出さされるメッセージの強いすばらしい写真ばかりです。

(画像クリックでリンクページへ飛びます↓)


gremz[太陽光発電]

ブログ更新について

書き込みの順番で前後いたしましたが
[東日本大震災復興事業②]
をUPさせて頂きました。

投稿が遅くなりすいませんでした。

2011年8月13日土曜日

20,000アクセス達成御礼♪

(i phonより送信)

皆様のおかげを持ちましてついに20,000アクセス達成にいたりました。誠にありがとうございます。最近は更新が少なくなっており少し心苦しく思っておりますが、その分更新の内容に関しましては内容のあるものにしていきたいと思っております。皆様今後とも何卒アクセスいただけますようよろしくお願い申し上げます。

2011年8月9日火曜日

東日本大震災復興事業②

石巻から車で移動し、同県内の七ヶ浜に向いました。
移動の最中も目に入ってくるのは各地から集められてくる
被災の残骸・・・。

なんと23年分もの廃棄物が今回の震災で発生したそうです。




移動の最中には仮設住宅が(走行中のため画像荒くてすいません。)




ベースキャンプの近くでもある七ヶ浜に到着。



この辺りは仙台港も近く、被災前は海苔の漁場として栄えて


いた土地だったそうです。ですが・・・、






生々しく被災の傷跡があちこちに残っていました。




この上下↑↓の写真の緑の部分やコンクリートだけの部分には


もともとすべて住宅が建っていました。




今回の被災で建物のほとんどが損傷を受けたために


建て替えるか住み替えるかの選択を迫られたそうです。





政府からも決断の期間が延びれば延びるほどに解体費用の


個人負担の可能性も出てきますとの通達もされた地元の皆さんは


やむなく既存建物の復旧よりもとにかく解体を決断されたそうです。





もちろん住民の皆さんの中には建物の復旧を始めている方もいらっしゃいました。




全体の1/30位でしたが・・・。




海岸縁を歩いていると様々な残骸が見れました。




車や廃材、漁船に生活雑貨・・・。



それらを少しづつ集めては片づけていく地元漁師の皆さん。


徐々にですが漁も再開していっているとの事でした。




そんな時に堤防で腰かけていた地元の人らしき


おじさんが気さくに声をかけてくれました。





聞くと地元の漁師さんらしく色々なお話を聞くことができました。


実はこのおじさんも今回の津波でご自宅を失っており、


現在はこちらにお住まいとの事でした↓


船の中はきれいに整頓されて1人で住むには十分な環境でした。




よく見ると左奥に↑仮設トイレもあります。





おじさんも以前は仮設住宅に住んでいたそうですが、


海苔漁というのは普通の漁と違って1日に何度か漁に出るために


海際に住んでいないと手間がかかって仕方がない。




仮設住宅もここから車で10分程度のところだが


海を目の前にして暮らしてきた自分たちからすると


その距離も苦痛で仕方がない。




しかし、もう一度海際に住むために家を建て替えても


跡継ぎもいないしお金もない。


本当に先が見えない。




改めて献金で作業ができる今回の事業の必要性を感じました。



契約概要、作業内容、作業環境と確認できた私達は最後に


大工方や担当者の宿泊施設の視察に向かいました。




七ヶ浜から車で5分くらい高台に向けて走ると宿舎となる


コテージがありました。





ここは仙台港からも近く、地震も津波も受けましたが


地盤が強固な岩壁になっており、津波の被害はなく、


地震の揺れを受けただけでした。





ビックリしたのは建物の中には明治時代に建てられたものも


たくさんあるとの事でした↓(築約120年)




全体では約50~60もの同規模のコテージがあり、


きれいにリノベーションされているものもあります♪




内装もきれいに修繕、管理がされておりビックリしました


(お話をうけた当初はテント生活になると聞いていましたので


大工方、社員の体調管理の面でも本当にうれしかったです。)





大工方やその他の関係者にも説明する為に


内装撮影の許可をいただいたので少しご紹介いたします。





各コテージにはリビングスペースやソファー等が設置




TVも用意してくれていました。




作業終了後は帰舎してここでみんなで談笑しているそうです。


(でも宿舎内および敷地内は禁酒・禁煙です)



冬に備えての暖房機器も用意されていました。


設備機器も充実♪



厨房施設①




厨房施設②




洗面室




トイレ




シャワー室




振り分けられるコテージによってグレードに差はあるそうですが


大体同じような感じです。





部屋はといいますと、


小部屋は2段ベットで2人1部屋、


大部屋は2段ベットで4人1部屋となっていて、




各部屋にはそれぞれデスクが割り当てられていました。




小物やPCは持込みだそうです。




数ヶ月にわたる長期間、


大工方、弊社社員、SPの皆さんが作業を共にして疲れた


心身を休める宿舎。



正直、テント生活では心身ともに1ヵ月持つかどうかと思っていました。


ですが、SPの皆さんの配慮によって用意していただいた


宿舎を拝見いたしましてかなり安心いたしました。





私自身がいくならテントでもなんでも耐えれる自信はあります。


そもそも自分から行きますと志願しての結果ですから。





しかし、今回は人員も不足しているところに参加を募って


集めなければいけませんし、企業としての請負いですので


労働環境や労災、体調への配慮も必要になります。






盆明けに説明会を開いてどれだけの方々に賛同いただけるか。


1人でも多くの方に賛同、参加いただけるように


今回見てきた被災地と被災者の皆様の現状をお伝えしたいと思います。

2011年8月8日月曜日

東日本大震災復興事業①

みなさん[Samaritan,s Purse(サマリタンズ・パース)]
という団体をご存知でしょうか。



[画像を↑クリックいただくとサマリタンズ・パースのHPに移ります]


サマリタンズ・パースは世界中の様々な原因で傷ついた人々に

精神的・身体的な援助をする超教派福音主義のキリスト教団体です。

彼らは今、岩手県気仙沼郡住田町と宮城県登米郡東和町に

ベースキャンプを設立して気仙沼と石巻を中心として

多くのボランティアの方々と共に復興活動をしてくれています。



今回、私ども大忠建設は私の友人のK社のF社長から

復興支援に関してサマリタンズ・パースが工務店の参加を募っているので

仙台に一緒にどんな内容か実際に見聞しに行きませんか?

と、お声掛けを頂きました。



少しの準備期間をおいて私と実際に指揮をとる予定の担当者、

そしてF社長とMさんと共に活動への参加の可否を判断すべく

宮城県石巻市に行ってきました。



[仙台空港]

(驚いたことにあれだけの被害を受けながら震災6日後には

離着陸可能な状態にまで復旧したそうです。日本てすごい・・・。)


空港へはありがたいことにサマリタンズ・パース(以下SPと略称)

のコーディネーター、ローレンス綾子さんが迎えに来てくださいました。

(写真は許可を取り忘れたので割愛(^^;)



日帰りということもあり時間もないので挨拶もそこそこにSPの事務所へ

向かうべく車で移動していると(駅は今だ未復旧)

道の端々には津波による残骸が山々と積まれていました。



車で約40分ほど移動してSPに到着。



中には主にアメリカ人のスタッフを中心に10名ほどの方々がいらっしゃいました。



実際にSPの方として働いていらっしゃるのは現場スタッフを入れると

約60名程いらっしゃるそうですが、その他の殆どがボランティアの方だそうで、

毎週何十人もの方々が世界中から復興活動に来てくださるそうです。



スタッフの方々と顔合わせ・名刺交換が終わり、

(リチャードさん・ルイズさん・ロバートさん名刺交換ありがとうございました)

さっそく今回の作業内容の説明を受けました。



約1時間ほどの説明および質疑応答でしたが

要点をまとめますと、震災後約5ヵ月を経過し、

やっと宅内の泥だし作業が終わり、

現在は宅内の復旧作業に入っているとの事でした。



それも損壊・浸水劣化の激しい建物1階をメインに家屋を雨風から防ぎ、

そして寒さの厳しい冬に備えるために戸締りができ断熱性を高めるといった

大工作業工事メインの内容で、今回われわれ工務店には大工方を招集し、



施工・技術指導(諸外国大工ボランティア含む)・資材及び工程等管理



を任せたいとの事でした。

(請負形態は3パターンあるが基本としてSPとの直接契約)



丁寧な説明を受けましたが[百聞は一見にしかず]

早速、実際に石巻の現場に直行させていただくことになりました。



石巻に向かう道中ですが本当に被災地には見えないくらい

復興は進んでいました。建物の中には浸水跡がくっきりと

残っているところもありましたが綺麗に残骸は片づけられていました。



ところが、石巻の海岸沿いに近づくに連れて・・・、



残骸はかなり片づけられてはいましたが、やはり深い爪痕が・・・。







そうこうしているうちに現場に到着。

建物を見て回ると本当にひどい状態でした。



少し歩いていくと作業をしてくださっている

アメリカのボランティア大工さんとお会いすることができました。



時計を見てみるとちょうどお昼時で

皆さんも昼食の準備をされている最中でした。

(上の写真左奥のオレンジのTシャツの男性はBBQでフランクフルトを調理中♪)

(こういった姿を見るとアメリカンを思わず感じてしまいました(^^))



お昼休憩中も作業に没頭されている方も。



お昼が終わり作業をされている皆さんの作業場を拝見させて頂くことに。



工法は木造在来で内装は和室が多く真壁工法。

平均して1階だけで20~25坪といった住宅が多かったですね。



外部は左官壁やサイディングと様々でしたが今回は基本的に

内部復旧がメインですので外部は非対称項目。

(ただし、施主様の依頼があれば直接契約にて請負可との事でした。)



しかし見た目よりもとにかく雨風がしのげるように

仕上げるほうが優先といった感じでした。



作業環境としてはやはり少し厳しいものがありました。

水道は近くまでは来ていますが現場周辺は断水。



電気も断線しているので発電機を持参されていました。

しかし容量が小さく同時に2つの機械を使うのも困難・・・。



作業視察中に上の写真の家のお施主様がボランティアの皆さんに

アイスの差し入れに来られていました。

聞けば毎日様子を見に来られているとの事。

と、いうのも被災直後は正直この家に戻ってくるのは無理だと

あきらめていられたそうです。

しかし、徐々に復興する姿を毎日目にするにつれて

周りに住む親戚の皆さんとも話し合った結果、



「もう一度ここに住もう!!」



という気持ちになられたそうです。



このあたりの方々は俗にいう[タンス貯金]が多かったらしく

みんなお金を津波に流されたとかで復旧したくても資金がないのが実状です。



そんな中で世界中の皆様の思いのこもった献金のおかげで

あきらめていた気持ちが、思い詰めていた気持ちが復興に向かって

湧き起ってきていました。



我々もどこまで貢献することができるか正直まだ未知数なところが

ありますが、できうる限りのことをさせて頂きたいという想いになりました。



まだまだ救援を求めている住宅は見渡す限り山ほどあります。

8月末に今回の視察をまとめまして説明会を開きたいと思っております。

大工の皆様、何卒ご参加頂きご賛同頂けますようお願いいたします。

(計画では今年中に300棟の内部復旧を目標にされているそうです。)



今日はここまででいったん切りますが

明日は海岸沿いの被災地の事と宿泊施設について

書かせていただこうと思います。